5. 我々の原点の統一
物理学において統一理論から大統一理論、そして、超大統一理論ということを考えておられる方がいます。宇宙の成り立ちが少しずつ解明されていくことにワクワクしています。
生物学においても、我々の遺伝子の神秘が明らかにされつつあります。命の成り立ちが、ゲノムとして解明されつつあります。我々の内側に、どんな力が秘められているのでしょうか。
今の我々は、昔なら知り得なかった、いろいろなことを教えてもらうことができ、活かしていくことができています。
物理学や生物学を究めておられる方に限らず、あらゆる方に、あらゆることで 『 力 』 を現して頂いていますが、この我々のあらゆる 『 力 』 の方向を、大きな目で見て、ひとつにすることはできないのでしょうか。このことによって、より良い世界を実現していくことができれば、どんなに素晴らしいことなのでしょうか。
しかし、これは、我々が、はっきりと意識していないだけで、すでに、できていて、進化という同じ方向を目指して変化をしてきている、とも思うのですが、いかがでしょうか。
我々の 『 力 』 が、すでに、ひとつになっていて、我々が、進化をしてより良い世界を実現することのできている存在なら、我々は、有史以来の過酷で、残酷な運命に翻弄されることはなかったのではないか、我々は、そんな存在ではない、と思われるかもしれません。
しかし、本当にそうなのでしょうか。有史以来の聖人、賢人、偉人は、このことが 『 事実 』 であり、そのように変化をしている、と教えてくださっていたのではないでしょうか。そして、有史以来、世の為、人の為に命を奉げられた多くの方々も、このことを心の底から強く望み、信じておられたのではないでしょうか。
このことを、改めて確認してみようではありませんか。
そして、みんなが笑顔で、より活き活きと生きている世の中を、改めて意識して、実現していこうではありませんか。
我々は、試行錯誤、紆余曲折、切磋琢磨を繰り返して、 『 失敗 』 と、 『 成功 』 から、少しずつ、より大切な 『 事実 』 を明らかにしてきていると私は思っています。
我々を俯瞰すれば、今までの 『 事実 』 を大切に活かすことができているのではないでしょうか。今の時代を生きている我々は、これまでのすべての人の心の奥底の声を、より聞くことができているのではないでしょうか。そして、たとえささやかなことであっても、自分なりに、その声に応えていくことができているのではないでしょうか。
私は、自分では、子供の時に、かなり辛い思いをしたと思っています。しかし、世界では、今日、明日の命に関わる危険に直面している、私の子供の時とは比較にならならないほど過酷な状況にさらされている子供たちが、今もたくさんいます。
自分が子どもの時に、過酷すぎる境遇に涙したことはないですか。自分は、その辛さを身にしみて知っているのではないのですか。我々は、今もいろいろなことで、多くの子供たちを犠牲にしていますが、これを続けていくのが、我々の望みなのでしょうか。
今の自分は、社会の不条理に苦しんではいないですか。これをこのまま次の世代に継がせても悔いは残らないのですか。自分が死ぬ時に後悔することはないのですか。自分にできることは何も無いのでしょうか。
ひとつの望みのために、我々のそれぞれができることをすれば、大きな力になるのではないでしょうか。
あなたは、次のことをどう思いますか。
世の中のすべてが、 『 自分 』 とは何か、 『 人間 』 とは何か、という
『 我々 』 の 『 思い 』 、 『 心 』 が、 『 基 』 になっている
『 自分 』 の 『 自分 』 に対する 『 認識 』 、 『 心 』 が、
『 自分 』 に関わる物事の 『 基 』 になっている
この 『 自分 』 とは何か、
このことを、より素朴に、より自然に、よりありのままに、捉えることができる
どうせ 『 自分 』 なんて、、、 どうせ 『 人間 』 なんて、、、 と思っているのか、
『 自分 』 は、 『 人間 』 として、 『 自分 』 なりに、 『 成長 』 、 『 進化 』 を遂げていくことのできる存在なのだ、と思っているのか、では、まったく違った事実を創り上げているのではないでしょうか。
大げさだと思われるかもしれませんが、『 自分 』 とは何か、このことを確認することによって、世界の紛争、差別、偏見、犯罪、貧困、自殺、いじめ、苦悩、を減らしていくことができるのではないでしょうか。 世の中の平和、協力、幸福、希望、生きがい、喜び、を大きく深いものにしていくことができるのではないでしょうか。
『 我々 』 は、このことを自分自身で、しっかりと確認をしていないばかりに、日常において馬鹿なことをしてしまっているということはないでしょうか。
すでに在る喜びに気付かずにいるということはないでしょうか。
『 自分 』 とは何かを、改めて 『 自分 』 なりに確認をする、これは、 『 我々 』 が望む、よりすばらしい世界を実現していく為に欠かせないことではないでしょうか。 『 我々 』 が、いずれ必ず通らなければならない 『 自然の道 』 ではないでしょうか。 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 にすれば、いずれ気が付くこと、いずれ思い出すことであり、いつ気が付くのか、いつ思い出すのか、という 『 思い 』 が、 『 自分 』 の心の奥底に 『 在る 』 のではないでしょうか。
そして、このことを始めとして世の中の基本になっている物事を、改めて問い直してみれば、すべてが、より本来の姿に整ってくるのではないでしょうか。
世界の、単純で、あたりまえに見えるすべての物事が、神秘的で複雑な、そして、難解な無数の要素で支えられていると思います。しかし、まずは、おおまかに、ありのままに全体を捉えて、少しずつ詳しく探求をすることはできるのではないでしょうか。 『 我々 』 は、ずっとこれをしてきているのではないでしょうか。
『 自分 』 とは何か、この問いで 『 我々 』 は、 『 気持ち 』 を 『 ひとつ 』 にすることができるのではないでしょうか。
表現に違いはあるかもしれませんが、 『 我々 』 は、 同じ 『 思い 』 を持つことができるのではないでしょうか。
表現に違いはあるかもしれませんが、 『 我々 』 は、基本的に同じ 『 価値観 』 を持つことができるのではないでしょうか。
そして、すでに、この 『 思い 』 、 『 価値観 』 を 、 『 心 』 の奥底で、持っているのではないでしょうか。
『 自分 』 とは何か、 『 人間 』 とは何か、というページが主ですが、興味のあるページから見てください。
拙文ですが、参考にして頂けて、ご賢察をいただければ幸せです。
Posted by 是澤 静桜 at 15:29