8. 『 自分 』 とは何か?






『 自分 』 とは何か ?


『 我々 』 とは何か ?


『 人間 』 とは何か ?








  『  自分  』  を着た  『  本当の自分  』  








  『 心 』 と 『 体 』 という  『  自分  』  を着た 

  『  本当の自分  ( 本当の我々 )  』







 8. 『 自分 』 とは何か?





            THE WHOLE   ( 一 体 )





               『  我々の全体像  』 








  それぞれの 『 自分 』 が、 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』としての

  『 自己実現 』 をしている 










  『 心 』 を現そうとしている 『 自分 』 は、どこにいるのか








  『  真我  』 、 『  本当の自分  ( 本当の我々 )  』 が、

  『 生きている 』 『  体  』 を通じて、 『 自然 』 と成長をしている

  『 未完 』 の 『 心 』 を現わしている








  『 自分 』 の現している 『 心 』 は、 『 力 』





  『 自分 』 の 『 心 』 に 『 自分 』 が従い、

  『 すべて 』 が、従ってくる


  『 心 』 は、 『 思い 』

  『 心 』 は、 『 精神 』

  『 心 』 は、 『 意思 』








  『 心 』 を磨いていくことで、穏やかになり、物事を、より深く観ることができ、より幸せに、より平和になってくる



  『 心 』 を磨いていくことで、無限の、 『 力 』 が、現れてくる



  『 心 』 を磨いていくことで、より 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 に成ってくる





  『 心 』 が、 『 先 』








 『 このこと 』 、 『 本当の自分 』 に、我々は、瞑想によっても、気付いてくることができているのではないでしょうか。










 『 自分 』 の 『 体 』 は、 『 自分 』 のものなのでしようか?








 自分の心臓は、 『 自分 』 が創ったものなのでしようか?


 自分の脳は、 『 自分 』 が創ったものなのでしようか?


 自分の胃や腸や肺や肝臓や腎臓などは、 『 自分 』 が創ったものなのでしようか?


 自分の体の37兆個もの細胞は、 『 自分 』 が創ったものなのでしようか?



 自分の体のほとんどの細胞が、入れ替わりをしています
 同じように思っている自分の体ですが、どんどん別の体で生きています

 この自分の体を創っているのは、 『 自分 』 なのでしようか?





 この自分の心臓を動かしているのは、 『 自分 』 なのでしようか?





 この自分の体を生かしている数え切れないしくみ、運動器系、循環器系、神経系、臓器系、免疫系、感覚器系、などなどの数え切れないしくみは、 『 自分 』 が創ったものなのでしようか?








 そもそも、自分の命は、 『 自分 』 が創ったものなのでしようか?








 気が付いたら生きている、この 『 自分 』 は、 『 誰 』 が創ったのでしょうか。








 『 本当の自分 』 と表現してもよい 『 力 』 の支え無しでは、 今の 『 自分 』 は、一瞬たりとも、生きることができないのではないでしょうか。


 物事を 『 自分 』 主体、 『 我々 』 主体、 『 人間 』 主体で捉えようとしがちですが、それは、 『 事実 』 に即しているのでしょうか。 
 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 と表現してもよい 『 基 』 、 『 根源 』 の 『 力 』 、 『 存在 』 、すべての 『 創造の主体 』 から物事を捉えることが、 『 事実 』 に即しているのではないでしょうか。



 『 我々 』 が、創ったように見えている物事であっても、 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 と表現してもよい 『 力 』 、 『 存在 』 が創造した物事に支えられて 『 在る 』 のではないでしょうか。



 『 自分 』 に対して、それぞれにそれぞれの不満があるかもしれません。しかし、今の 『 自分 』 は、 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 と表現してもよい 『 力 』 、 『 存在 』 による 『 創造の賜物 』 ではないのでしょうか。





  『 体 』 も、 『 本当の自分 』 のもの





 ついつい他人と比較をしてしまうから、そして完璧でないことで 『 自分 』 を大したことのない存在のように思う時があるかもしれません。しかし、 『 本当の自分 』 から観れば、それぞれの 『 自分 』 が、より本当の成長、より本当の進化、より本来の自己実現をしていくことのできる、 『 力 』 を内に秘めた、素晴らしい、そして、すごい 『 未完の存在 』 なのではないでしょうか。
 普段あまり気にはしていませんが、今の 『 自分 』 は、とてつもなく、すごい 『 力 』 に繋がっていて、とてつもなく、すごい奇跡が、あたりまえのように起こっているのではないのでしょうか。


 『 我々 』 の一人一人の 『 自分 』 が、元素の創造に始まって、地球の、おそらく海で生命の誕生に至り、そこから一度も命が途切れることなく進化をしてきました。
 人間としてからも、様々な経験によって切磋琢磨をして、新たな成長を遂げてきているのではないでしょうか。
 歴史を、100年、1000年単位で語る場合がほとんどですが、『 我々 』 のそれぞれは、元素の誕生から、およそ138億年、生命の誕生から、40億年、ホモ・サピエンスとして、20万年、この時間をかけた 『 本当の自分 (本当の我々) 』 の 『 意志 』 と表現してもよいものによる 『 成果 』 であり、この時間の先端の数十年、数年、あるいは、数日、数時間、さらに先端の1分、1秒で、1歩、Ⅰcm、Ⅰmmの新たな成長、進化、自己実現をしようとしている 『 未完の存在 』 なのではないでしょうか。


 宇宙の誕生から、元素の誕生から、繋がっていて、そして、『 自分 』 の命は、ホモ・サピエンス以前の生命の誕生から今日まで、何代もの祖先によって受け継がれ、一度も途切れることなく、繋がっていて、今が 『 在る 』 のではないのでしょうか。
 元素は、元素誕生からのもの、命は、生命誕生からのものではないのでしょうか。



 事実として、『 我々 』 は、ずっと、この自己実現、進化、成長の 『 道 』 を歩んできているのですから、 『 自分 』 は、今もこの 『 力 』 に繋がっているのではないのでしょうか。
 『 本当の自分 』 にすれば、生きているだけで、その喜びが 『 在る 』 のではないでしょうか。





  『 自分 』 を、孤独で、ちっぽけな 『 存在 』 だと思う時があるかもしれない

  しかし、 『 自分 』 は、宇宙の偉大な 『 成果 』 の一部として、

  『 今 』 、 『 ここで 』 、 『 存在 』 し、成長、進化、自己実現をしている


  『 自分 』 は、 『 元気 ( 元の気 ) 』 に、繋がっている

  『 自分 』 は、 『 本気 』 に、繋がっている







  『 自分 』 は、宇宙を創造し、留まることなく成長、進化、自己実現をしている

  『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 の 『 力 』 に繋がっている








  ここが 『 我々 』 の始まり  

  ここが 『 自分 』 の人生の始まり  








  『  自分  』 を着た 『  本当の自分  』  








  『 心 』 と 『 体 』 という 『  自分  』 を着た

  『  本当の自分  ( 本当の我々 )  』 








 この宇宙を、創造し、存在させ、 『 自分 』 を存在させている、このすべての創造の 『 基 』 、 『 根源 』 に 『 在る 』 、 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 のことを、 『 我々 』 は、有史以来、いろいろな言葉を使って表現しようとしてきているのではないでしょうか。
 あなたの言葉で表現をしている 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 に、繋がっているのではないでしょうか。


『 神 』
『 仏 』 
『 偉大なる存在 』
『 創造主 』
『 主体 』
『 真我 』
『 天 』
『 光 』
『 タオ 道 』
『 魂 』
『 霊魂 』
『 精霊 』
『 気 』
『 元気 ( 元の気 ) 』
『 本気 』
『 力 』
『 成長力 』
『 進化力 』
『 動 』
『 静 』
『 無 』
『 空 くう 』
『 虚空 』
『 是 』
『 内なる力 』
『 静かなる心 』
『 大いなる心 』
『 本心 』
『 真心 』
『 精神 』
『 良心 』
『 良知 』
『 法 ( 真実の法 ) 』
『 真実 』
『 真理 』
『 道理 』
『 自然 』
『 自然の摂理 』
『 宇宙の摂理 』
『 一体の力 』
『 宇宙全体を支える力 』 
『 宇宙全体を創造している力 』                
『 未知 ( すでに、我々の内側にある、思い出していくことのできる未知 ) 』





 8. 『 自分 』 とは何か?





            THE WHOLE   ( 一 体 )





               『 我々の全体像 』 





  『 自分 』 は、時空の 『 基 』 に在る、この 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 から現れて、この 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 に帰っていく





  ここに、この 『 世界 』 に、 『 実相 』 として、すでに、 『 大調和 』 が、 『  在る  』  


  ここに、 『 実相 』 として、すでに、 『 愛 』 が、 『 在る 』


  『 万物一体の愛 』 が、 『 在る 』 





 『 自分 』 の言動は、 『 すべて 』 に及んでいるのではないでしょうか。


 『 自分 』 は、 『 全体 』 と  『 一体 』 、 『 ひとつ 』 であり、その 『 ひとつ 』 と共に、 『 在る 』 のではないでしょうか。


 『 ひとつ 』 である 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 の 『 意 』 に叶うことをするならば、その 『 自分 』 にとって 『 素晴らしき良きこと 』 が起こるのは、必然ではないでしょうか。 
 『 ひとつ 』 である 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 の 『 意 』 に反することをするならば、その 『 自分 』 にとって 『 良きこと 』 が起こるはずがないのではないでしょうか。
 利他の言動は、感動を伴って 『 自分 』 の喜びとなり、単なる利己は苦難の遠回りをして究極、利他にたどり着く。利他と利己はひとつになり、元々始めから 『 ひとつ 』 だったことに気付くことになるのではないでしょうか。
 『 我々 』 の喜びと豊かさは、 『 我々 』 が、 『 役に立ち合う 』 ことによって、より大きく、より深くなっていく、他給自足、自給他足は、 『 我々 』 の人生の 『 真理 』 、 『 真実 』 ではないでしょうか。



 昔から 『 お天とうさま 』 は、すべてお見通しだと言われてきていますが、 『 自分 』 の心の奥底に 『 在る 』 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 は、 『 自分 』 が何をしているのかをすべて知っていて、知っているからこその現象によって、より 『 真理 』 、 『 真実 』 の 『 道 』 に気付くことができているのではないでしょうか。








  『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 から観れば、すでに、すべてが、 『 良く 』 なっている



  『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 から観れば、すでに、 『 あるがままの力 』 によって、
すべてが、 『 成長 』 、『 進化 』 をしている



  『 あるがままの力 』 を意識することで、より 『 本来の力 』 を現していくことができる



  すでに、 『 さらなる成長 』 、 『 さらなる進化 』 の為の、経験と、知識と、知恵を積んでいる








  すべてを、  『  すべて  』  が知っている  








 『 世界 』 を素粒子の大きさで観ることができたなら、『 我々 』 は、自他を区別できるのでしょうか。
 すべてが素粒子でできているのではないでしょうか。
 『 事実 』 として、すべての人と繋がっていて、宇宙と繋がっているのではないのでしょうか。
 すべてが、形を変えて、 『 存在 』 しているだけではないのでしょうか。

 『 我々 』 の 『 根源 』 は、 『 事実 』 として繋がっているのではないでしょうか。








  『  我々  』  は、  『  すべて  』  で  

  『  ひとつ  』  、

  『  全体  』  の中の、  『  部分  』  として存在している








  すべての存在の  『  基  』  に、  『  ひとつ  』  の、  


  『  本当の自分  (  本当の我々  )  』  が  『  在る  』

















Posted by 是澤 静桜 at 15:00