20、 宗教とは何か?









  『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 を、より深く、

  『 実感 』 していく為の、教え  








  本来、宗教の対立は、存在しない    


  すべての宗教が、『 ひとつ 』 の 『 思い 』 から始まって、
  違ったように見えた、 『 基 』 の、同じ 『 ひとつ 』 に、
  改めて、気付くことになる





 聖地、神社、仏閣とは、 『 自分 』 が、  『  本当の自分  ( 本当の我々 )  』  に、会いに行く場所ではないでしょうか。
 そこには、  『  自分  』  に、気付かせようとする、 『 我々 』 の 『 歴史 』 が、あるのではないでしょうか。


 そこに行って、改めて、 『 すべて 』 に  『  神  』  や  『  仏  』 、 そして、  『  本当の自分  ( 本当の我々 )  』  が宿っていることを、教えられるのではないでしょうか。
 神道に八百万の神(やおよろずのかみ)という表現がありますが、表現に違いはあっても、 『 自分 』 も、八百万の神の中の 『 ひとつ 』 の存在であることを、そこに行って、改めて、教えられるのではないでしょうか。



 あたりまえのことだと思われるかもしれませんが、経文、教えとは、  『  神  』  や  『  仏  』 、 そして、  『  本当の自分  ( 本当の我々 )  』  に、気付く為のものではないでしょうか。 「 月を指し示す指 」 ( 龍樹菩薩 ) なのではないでしょうか。これによって、 『 唯一絶対 』 の、 『 ひとつ 』 の 『 神 』 、 『 仏 』 の本当の意味を、それぞれが理解し、 『 実感 』 していくことになるのではないでしょうか。
 宗派とは、ただ、表現の違いだけなのではないのでしょうか。


 昔、熱心に仏教のお経を唱える私の叔母に、「 南無阿弥陀仏 」の意味を尋ねたことがあります。叔母は、その時に、「 ありのまま、ということや 」と教えてくれました。その時、私は、意外な答えのように思いましたが、これは愚鈍な私が、歳を重ねるごとに、理解を深めていくことのできる、最高の教えだったと今は思っています。  








 悟りとは、 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 、 『 本来の姿 』 に気付き、これを 『 実感 』 することではないでしょうか。

 表しきることのできない、 『 すべての、すべて 』 との 『 一体感 』 を、 『 実感 』 することではないでしょうか。



  ここに、絶対の大丈夫がある

  ここに、絶対の安心がある

  ここに、絶対の積極がある

  ここに、絶対の成長がある

  ここに、絶対の喜びがある

  そして、ここに、絶対の愛がある


     
 悟りとは、すでに心の奥底で知っていること、 『 無我の我 』 を、 『 実感 』 することでもあるのではないでしょうか。





 そして、この 『 実感 』 の後にも、改めての、ありのままの、 『 姿 』 があるのではないでしょうか。












Posted by 是澤 静桜 at 13:20