14. 『 自分 』 の 『 命 』 の重みについて
あたりまえのことですが、 『 自分 』 の 『 心 』 と 『 体 』 は、 『 自分 』 の誕生から現れてきています。
では、 『 自分 』 の 『 命 』 は、いつ始まっているのでしょうか ?
あたりまえのことですが、 『 自分 』 の 『 命 』 は、 『 自分 』 の誕生から始まったのではありません。我々のそれぞれには、2人の親がいますが、基の 『 命 』 は、その2人から受け継いでいます。そして、その2人の親にも、それぞれ2人の親がいます。さらに、それぞれに2人の親がいます。
曽祖父母の代まで観れば、2人、4人、8人で、今の自分は、14人の命を受け継いでいることになります。
10代前(1代を仮に30年とすれば、およそ300年前)までなら、1024人、11代前までなら、2048人の、自分の親の親の命に繋がっていくことになります。
20代前(およそ600年前)までなら、104万8,576人、そこに至るすべての人の命を、自分は受け継いでいることになります。
我々の、それぞれ1人1人には、数えきれない祖先の 『 命 』 が、宿っているのではないでしょうか。
あたりまえのことですが、その自分の祖先の誰か一人がいなければ、今の自分は存在していないことになります。今の、 『 自分 』 の 『 命 』 は、無いことになります。
命の繋がりだけでなく、今の 『 自分 』 は、とてつもなく多くの人の思いやり、愛情と表現してもよいと思いますが、それにも、繋がっているのではないでしょうか。なぜなら、その方々の思いやり、愛情が無ければ、先祖の誰かの 『 命 』 が無く、今の 『 自分 』 の 『 命 』 が、無かったかもしれないからです。
祖先のすべての人、その祖先の人に関わるすべての人、そのすべての命、すべての物事のおかげで、今の 『 自分 』 は、 『 在る 』 のではないでしょうか。
今の自分は、どれだけ多くの人の 『 命 』 を内に持っているのか
今の自分は、どれだけ多くの人の 『 おかげ 』 で生きることができているのか
人口は、原始になるにしたがって、今よりずっと少なかったはずですから、祖先を遡っていけば、多くの人が、同じ祖先に繋がっていくはずです。
そして、究極の究極には、すべてを創造している同じ 『 ひとつ 』 の 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 に辿り着くのではないでしょうか。
すべての人が、人類誕生までの数えきれない人と繋がっていて、さらに、生命の誕生へと繋がっているのではないでしょうか。さらに、素粒子の誕生に繋がっていて、究極の究極、すべての人が同じ 『 ひとつ 』 の 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 で繋がっていて、このすべての繋がりに生かされて、今、それぞれの人生を、生きることができているのではないでしょうか。
『 自分 』 の内側には、祖先のすべての命が宿っていて、さらに、その大基に 『 本当の自分 』 の 『 力 』 が宿っているのではないでしょうか。
今、現在の 『 自分 』 の、より大きく、より深い喜びは、祖先のすべての人の喜びであり、 『 本当の自分 』 の喜びでもあるのではないでしょうか。
『 自分 』 の 『 命 』 は、 事実として、
『 自分 』 ひとりの 『 命 』 ではない
我々は、何百年、何千年という歴史のある建造物や、伝統のある物事に、素晴らしさと共に畏敬の念を感じています。しかし、我々のひとりひとりは、何百年、何千年より遙かに長い時間、40億年、さらに138億年という長い長い時間をかけた進化、自己実現の末に、今、ここで、 『 生きて 』 、 『 存在 』 をしているのではないでしょうか。
今、我々のひとりひとりが、身の回りの人、知っている人、出会う人、すべての人と切磋琢磨をして、より 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 として生きることができているのではないでしょうか。
『 自己実現 』 をしていくことができている
『 やれるところまでやる 』 ことができている
やっただけできるという 『 命 』 、 『 機会 』 を与えられている
生まれてきたこと、今、生きていること、生かされていることで、 『 自分 』 と 『 目の前にいる人 』 に心から、おめでとうと言うことができて、 『 祖先の人 』 、そして、 『 すべての人 』 に、より大きく、より深い感謝と敬意の念を、抱いていくことができるのではないでしょうか。
Posted by 是澤 静桜 at 14:16