9. 何の為に生きているのか?

是澤 静桜

2013年06月10日 14:50









  『  やりたいことをやる  』   この為に生きている








  やりたいことをやればよい  

  『  自分  』 の、 『 やれるところまで 』 やればよい  



  極論すれば、 やりたいことを、やりたいようにやる  それでよい








 そんな馬鹿な、社会が荒廃し成り立たなくなると思われるかもしれません。しかし、 『 自分 』 がやりたいことをやる、というのではありません。
 より本当に、やりたいことをやる、より 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 としてやりたいことをやる、より本当に、 『 元気 ( 元の気 ) 』 になることをやる、ということです。
 より本当に、 『 本気 』 になる、ということです。



  本来の、 『 やりたいことをやる 』

  『 真 我 ( 本当の自分 ) 』 が、 『 やりたいことをやる 』     

  『 真 我 ( 本当の自分 )  』 として 『 自己実現 』 、 
  『 進化 』 、 『 成長 』 をする


  本来の、 『 自己実現 』 をする



  『 自 分 』 として、より大きく、より深い喜びを実感する



  この為に生きている





  やろうがやるまいが、 『 本当の自分 』 の 『 力 』 が、動き出す


  『 自 分 』 のすべてが、この 『 道 』 の上に乗っている





 『  やりたいことをやる  』 、 このことによって、自分の体の中の、心臓や、脳や、いろいろな臓器のように、あるいは、いろいろな細胞の、ひとつひとつのように、 『 本当の自分 』、 『 全体 』 の中の 『 個 』 の役割をより果たしていくことにもなるのではないでしょうか。
 


  すでに、それぞれが自分なりの使命を果たしている

  さらにこれから、より本来の役割を果たしていくことができる





 どうしてよいのか解らない、迷っている、苦しんでいると思いがちですが、 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 にすれば、すでに元々始めから 『 自分 』 は、 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 の 『 自己実現 』 、 『 進化 』 、 『 成長 』 の大きな 『 道 』 の上を歩んでいるのではないでしょうか。
 より 『 本当の自分 』 として、より本当に 『 やりたいこと 』 を、 『 自分 』 が、やれるところまでやることができているのではないでしょうか。





  すでに  『 命 』  を与えられている者は、自ら本来の 『 力 』 を現すことが
  できている


  やれるところまでやることができている


  やっただけできている


  どんな立場でも、最善を尽くすことができている


  生きている限り、成長することができている





 草木は、与えられた環境で、ただただひたすら成長をし、花を咲かせようとしています。我々は、考えることができますので、与えられた境遇を不満に思い、悩み苦しみ、これが、ありのままの成長をできなくすることがあります。時に、考えることを利用して、成長しない言い訳を探したりすることもあります。そこで、草木のように、ただただひたすら成長をし、花を咲かせようと、日々、生活することを、あえて精進すると言うこともあります。
 耐え難い苦しみを味わう時もありますが、そんな時にも考えることができるからこその喜び、幸福感もあったのではないでしょうか。より大きく、より深い喜び、幸福感を羅針盤にして、より本来の成長をしてくることができているのではないでしょうか。いろいろな花を咲かせてくることができているのではないでしょうか。
 いろいろな状況の中、 『 自分 』 の責任で、物事の見方、捉え方、生き方を選択することができているのではないでしょうか。
 生きている限り、挑戦しようとすれば、挑戦することができているのではないでしょうか。


 『 本当の自分 ( 本当の我々 ) 』 は、宇宙の誕生から、宇宙全体を変化させ、新たな奇跡を起こし続けてきています。
 生命の誕生に到達してからも、新たな奇跡を起こし、進化させ、成長させ続けてきているのではないでしょうか。この 『 力 』 は、今も、この身に働いているのではないでしょうか。





 それぞれの 『 自分 』 の人生には、とてつもなく大きく深い価値と可能性が、そして、醍醐味があるのではないでしょうか。
 この価値と可能性を 『 自分 』 は、過小評価をしてはいないでしょうか。すでにある醍醐味に気付かずにいるということはないでしょうか。





 人生において、困難を克服した人、困難に打ち勝った人というのは、 『 自分 』 の 『 内なる力 ( 元の気 ) 』 に気付いた人なのではないでしょうか。
 困難に立ち向かった人というのは、何度も何度もの失敗、何度も何度もの締め付けられるような不安、恐れ、絶望感、これらに押し潰されそうになりながらも、この 『 自分 』 の 『 内なる力 ( 元の気 ) 』 を信じて、震えながらも、踏ん張って、ひたすら前に進み続けた人なのではないでしょうか。始めから、9999回の失敗や挫折を覚悟して、挑み続け、一歩一歩、ひたすら前に進んだ人ではないのでしょうか。



  『 自分 』 の力だけでは何もすることのできていない人生で成長をしていく


  より 『 真実 』 の 『 自分 』 として、より本当に 
  『 やりたいこと 』 を問い続けていく


  『 自分 』  を  『 極めていく 』  


  『 普遍的価値 』  を  『 追及していく 』


  『 芯の力 』  を出していく



  『 自分 』 の境遇で立つ


  『 不完全な自分 』 、 『 未完の自分 』 として立ち上がればよい


  『 失敗 』 と、 『 成功 』 から、 『 不本意 』 と、 
  『 本意 』 から、『 本当の自分 』 の 『 思い 』 を学んでいけばよい


  『 自分 』 の 『 道 』 の真ん中を目指していけばよい


  『 自分 』 の、内なる、 『 声 』 を聞いていけばよい


  ただひたすら、一生懸命に生きていけばよい


  ただひたすら、 『 自分 』 の生き方を示せばよい


  目の前に、無限で未知の可能性が広がっている


  何を選択するかは、自分しだい
     



  『 自分 』 の 『 内なる力 ( 元の気 ) 』 に気付いて、やれるところまでやる
  『 自分 ( 我々 ) 』 は、元々始めから、この道の上を歩んでいる 


  思いが、 『 自分 』 のものでなく、 『 本当の自分 』 のものであるならば、
  『 個性 』 を発揮し、より 『 愛 』 を実現することになる


  天分をもって、分を尽くすことになる





  誰にも認められないかもしれない

  しかし、 『 本当の自分 』 は、すべてを知っている

  『 本当の自分 』 は、 『 自分 』 を知っている








 より本当に、やりたいことを、主体的に、やれるところまでやる、これが、 『 自分 』 にとっての最高となり、 『 すべて 』 にとっての最高となるのではないでしょうか。





 より本当にやりたいこと、これは、大層なことではないかもしれません。ごくごく些細なことなのかもしれません。たとえば、あたりまえのことのように思える 『 自分 』 の存在や、身の回りの物事に喜びを実感していくことなのかもしれません。あたりまえのことが、 『 奇跡の結晶 』 なのですから。そして、このことが、すべてに新たな、ありがたさと喜びを実感していくことの始まりになるのかもしれません。 より 『 本当の自分 』 として、喜びを実感していくことの始まりになるのかもしれません。
 これが、 『 自然の道 』 ではないでしょうか。


 『 より本当の 本気 』 のままに、毎日、毎日を、ただ今、この時、この時を、ただただ、ひたすらに、淡々と生きておられる、そういう方々に、お会いする度に、私は、私の未熟さを思い知らされています。





  『 自分 』 なりの、たくさんの 『 花 』 を咲かせる為に生きている


  これが、 『  本当の自分  』  の  『  花  』  を咲かせていくことになる


  この  『  花  』  は、やがて  『  実  』  を結び、次の世代の  『  種  』  になる



  『 本当の自分 』 が、何の為に生きているのかという 『 基 』 があって、その上に、何の為に生きているのかという 『 自分 』 の 『 人生 』 が 『 在る 』